和とカルトナージュ

日本には、伝統的な和布を装飾意匠として用いる貼函様式があります。意匠装飾のみならず和形においても、あらためて日本の美しさや和の形に心を動かされます。西洋スタイルのカルトナージュが主流ですが、ぜひとも日本式カルトナージュとして文化にしていくことが望まれます。

漆文化と箱物

奈良時代から平安時代に移る頃、麻布を漆で張り合わせて固める乾漆技法で作られた、お経を納める蒔絵箱が残されています。(奈良国立博物館蔵「違唐蒔絵経箱」(11世紀頃))一般に乾漆技法に用いる漆は、仏像の像造材料として用いられるもので、蒔絵箱の造形技法として使われるのは大変珍しく、奈良の四天王像が最古の乾漆仏とされています。

乾漆技法では、布を貼り重ねることを“布着せ”といい、木や土で芯を作り糊漆を使って麻布を5〜8枚貼り重ねて素地に成形するそうです。漆を用いる文化は、日本の縄文時代の前期頃に、漆と土を混ぜて形成する乾漆の技術があったのではないかとも考えられており、千年を越えて受け継がれてきた漆文化と漆工芸は、日本が世界に誇る伝統文化の造形技法ではないでしょうか。

乾漆技法はカルトナージュの発祥よりも古くからある技法です。乾漆技法をカルトナージュと一緒にすることはできませんが、日本の乾漆で作った箱物が、カルトナージュの作り方と相似することに驚きます。カルトナージュの起源説とされる、古代エジプト時代のカルトナージュ棺(ミイラ形)の作り方を重ねて想像するのです。

日本に伝承する貼函文化

江戸後期から明治初期にかけては、日本女性の家庭裁縫として“縮緬”を用いた裁縫や細工物があります。ちりめん細工として広く知られていますが、江戸後期の裕福な女性たちの嗜みとして、着物の残り布を用いて袋物細工として作られていました。明治になって、庶民でも紙を用いることができるようになり、和紙を貼り重ねて厚紙にし、着物の端切れで包んだ小箱などが作られるようになったとされます。(『伝承の裁縫お細工物 江戸・明治のちりめん細工』雄鶏社2009)

明治には、様々な外国文化とともに、中国から伝わった『支那かばん』が上げられます。櫃(ひつ)のような形をした木箱に、皮や紙を貼ったものでしたが、19世紀の中頃には、エジプト紋様のゴブラン織を用いた布製かばんにして流行したそうです。(株式会社ザ・パック)この布製の支那かばんは、現在でいう“ケース”という概念の元になっているとされ、戦後日本の貼函は、着物や反物を入れておく箱に用いられ、当時は高級だった砂糖や卵等の食材を保管することにも使われたそうです。

日本の紙箱や布箱の歴史は、西洋に遅れることなく同時期にあったと考えられます。西洋ではパリの貴婦人の嗜みとされますが、日本では江戸庶民の暮らしの営みであったことです。今日でも、貼函は、和菓子や高級洋菓子等の化粧箱や、結婚祝い品や贈答品に用いる高価な祝い箱に用いられています。日本に伝承する工芸手法として、和紙を使った貼函や、日本の伝統布地を用いた民芸として伝承されています。

和とカルトナージュ
表装裂地(きれじ)を用いた筆箱

「和」の調和。意味を持つ大切さ

カルトナージュは、西洋の形が中心ですが、いくつか和形でも用いられています。スクエアをはじめレクタングルやサークル等も、重箱や硯箱、丸箱や盆という、伝統的な和形になります。亀甲や菱は“紋”、扇や小判は“風物”、花や葉は“四季・季節”など、「和」でとらえた意味のある形です。和形という視点でとらえると、物事のカタチやありさまを、言い表した形状であることに気づきます。

このような形は説明がなくとも、自然な美しさを持ったカタチとして感じとることができます。日本人の、伝統的な感性を言葉に象徴するように、四季や風物を感じとり、幸福への願いを込めた古の造形になっていることです。和の形は日本の心と調和し、その時代の美意識によって作られているのが、日本のカルトナージュの特色ではないかと考えています。和形の作品作りを通じて、カルトナージュを深くみつめる機会になります。